THE SLUDGE インタビュー
「Fragile」9号(1985年3月10日発行)から転載

もうメデイアで編まれたものしか頭に残らなくなり久しい。私たちは、もつと自分でヴォーグしたい。ふと心に想つたことを記憶の連鎖、音の編み目に引きずり込みたい。ザ★スラッヂとの出合いは、抜きうちだ。頭が水の泡になる。抜きうちの衝動は、たれにも止められない。メデイアは今もスキだらけだ。

日比谷、片岡、刈谷、片山

S:菅原 正博(Vo,G)
H:日比谷憲彦(Dr)
O:片岡 理 (G)
K:片山 修一(Ba)

〈菅原氏を待つも来ず。そろそろとインタビュー開始〉

―ではみなさんのスラッヂに至る経歴を。

片岡(以下O):中二の時に3000円の白いギターを買いまして。井上陽水をやってましたね(笑)。文化祭の時に友だちと「東へ西へ」をロックでやろーと。その時はまだ何も出来なかったから、とりあえずオルガンを弾いて。最後の方にD・パープルの「CHILD IN TIME」のボレロっぽいフレーズ入って、そのあと「チューブラーベルズ」の僕のオルガンに引き継がれていくんです。やったのは、それが初めて。高校ではベースをやってました。グループつくって、KISSの「デトロイト・ロック・シティ」なんかやってた。ピーター・フランプトンの「ショー・ミー・ザ・ウエイ」とか(笑)。オリジナルもやりました。コード3つで組曲とかね。その頃はエフェクターも、あんましなかったから。フェイズシフターというのをギターの人が買って、それがすごく良いと。まぁ。そんなわけです。ちなみに僕はスラッヂのオリジナルメンバーではありません。

日比谷(以下H):僕は音楽を聴きはじめたのはビートルズから。ギルバート・オサリバンとか。

0:「ウー・ベイビー」!

H:(笑)あと、エルトン・ジョンとか。結構ポール・サイモンが好きだったんです。だから、D・パープルもキッスも聴かなかった。そんな感じです。スラッヂは、最初はトリオだったんです。僕と、今はいない菅原君と、まぁ一緒に大学入ったんですけど。2年の時に組んだんです。大学入るまで、楽器は全然手にしたことなかったんですよね。その時はじめてドラムってのを叩いた。で、もう一人ベースの芝岡君という人がいて、その後、片岡さんが加入して。ごく最近ですけど、その芝岡君が都合で練習できなくなったんです。それで、グループからは遠ざかったんですけど。で、1年後輩の片山君が8月から、正式メンバーとして入ったんです。

片山(以下K):私が最初に唄った歌は、いや、ちがった、最初に覚えた洋楽っていうのが、レインボーズの「バラバラ」って歌で、幼稚園の時からジャーマン・ロックを口ずさんでました。「マベビベビバラバラ…」ってそれだけなんですけど(一同笑)。えー、ロックはビーチボーイズからで、ビートルズに対抗して応援してた。で、サディスティックミカバンドの「ピクニック・ブギ」で、こんなのあるのかって、日本のも聴きだした。その後、好みの3本柱ってのが形成されてきて、ここ数年は、ルー・リードとパティ・スミスとイギー・ポップで、その系統に入るようなのは好きです。ベース始めたのは2年前位で、遊んでるうちに入ったというとこです。

O:その前に、違うバンドで片山君とはやってたから、前から知ってたんですけど。毎週1回インプロヴィゼーションやってた。凄い音だしてた(笑)。

K:たいしたセッションじゃなかったけど、結構面白いことやってた。

―最初のギグは何処で?

H:対外的に最初にやったのは、千葉のダンシング・マザーズ。

―なんか覚えてます?

O:んー。その頃は、とにかくやるたびにいつも嫌な気持ちになるという感じだった。マザーズばっかりってのもあったし、いたたまれないというか。どーしていつもこうなんだろうって。すぐ捌けたくなったり。

―やってるうちから?

O:そうそう。

―ライブテープ限定50本、出しましたよね。

H:あれは、手売りでしたからね。だいたい(笑)。

―完売したとか。持ってる人いますよ。

H:えぇ?(笑)まぁ、店にも少し置いたけど。あれはマザーズの2回目くらいのライブです。

―じゃ、1stシングルの「箱男」について。

O:僕は出すなと言った。というか、菅原をのぞいて、あのテープをプレスするということには、あまりいい印象を持ってなかった。芝岡君なんてものすごく怒ってましたからね。でも、それより菅原君の欲求が強かったんです。とにかくカタチにしたいと。

―個人的に「夜光少年」が好きなんですけど。2コーラス目にパトスを感じる。「ギャルソン」を歌ってる女の子は?

O:学校の近くに住んでた女子高校生です(一同笑)。はるみちゃん!

H:菅原君の下宿の近くに住んでた。ファンです。

―はあ。「箱男」はジャケットもきれいですね。

O:ジャケットは、私デザインですから、はっきりいって(笑)。題字は、はるみちゃんです。あの人はねぇ、習字の師範ですからね。散髪のアレも…理容師の学校へも通ったことがある。

―マルチ。

O:マルチ

―2nd「AFTER THE SLUDGE」は、「夜光少年」がパワー・アップしたように感じるんですけど。

O:そーですね。おっしゃるとおりですね(笑)。いま、やってるので一番古いのは、「夜光少年」ですか?

H:そうですね。

―歌詞は、大体どなたが?

H:いまはいない菅原君です。

O:常に、いないってことが指摘されている(笑)。

H:バンド色っていうか、コンセプトはほとんどVOCALで決定されてるんじゃないですか。

O:だから、こっちで曲を設定しても菅原がイヤだっていえば、それは落とすから。詩に関しては、決めてない。というか、口から出まかせ。

H:毎回、違うんで。

―「工事現場で見つかった死体」を、2ndで「また見つかった」として出したのは?

O:好きだったから。で、デュカスの人に「この路線で伸ばしなさい」って言われたんです(一同爆笑)。500枚プレスして、ロクに売れてないですけど。

―一番よかったギグは、いつのですか。片山さん。

K:みんなの意見では、こないだの11月の新宿JAM。のいずんずりとかと、やったとき。法政大(GAKKANホール「東京バトルディズ2」)は気持ちよかった。

O:ベースのVOLUME、大きかったからね(笑)。あっ、きたきた、も〜。

H:あっ、きた。

(菅原氏、到着。足早に席につき、「どうも」と低く呟く。ビールを注文する。)

O:罰金。罰金。

菅原 日比谷、片岡、刈谷

―(少し緊張しながら)あの〜、え〜、いきなりですが以前、某ミニコミで菅原さんが寄せた文を読んだんですが、灰野敬二とかとやったオムニバス・ギグ「発狂の夜」について、やりきれないというようなこと言ってましたけど、どういう心境だったんですか?

菅原(以下S):ああ。真夏でね、お盆かな。くそ暑くて。…クーラーなくて。…音漏れるし、明け方だし。…地下の密室で。

―このままじゃ、出口ないとか。

S:戸、閉まってたから(一同爆笑)。

―スラッヂっていう名前は?

S:「す」で、はじめたかった。まぁ、解体みたいな。泥とかね。そういう意味みたい。

―歌詞について聞きたいですね。

O:あのねー。初期は、「工事現場」路線だった。菅原君とは、白夜書房の本ばっかり読んでたってのがあった。

S:それしか読んでない。「BILLY」とかね。その昔は「ヘッドロック」とか「ヘブン」とか。一番見たいのがやっと見れたっていう、そういう感じだった。

―それで「死体」なの?

O:ジョン・ダンカンが考えているような「死体」っていう、そういうのじゃない。

S:実験として、ブラジルかどっかで、ステージで死体とやった人いたけど、そーゆーのとは違う。

O:昔はロックンロールっぽい曲があって。ボヨヨンボヨヨンとかね。スーパー3。

S:♪コイルはデブっちょ、ボヨヨンヨン、とかね。あれ、歌ってた。

O:そうそう。で、さすがだなぁと思ってたんだけど。最近ちょっと観念的になりつつある。こりゃ、どうかと思う(笑)。

S:結局ステージで歌うって事前に考えたものでしょ。再現するだけでしょ。聴いてる方もわかんないし。

―あぁ。あの「レッド・クロス」って曲あるでしょ。あれは、何を歌ってるの?

S:最初は赤軍派を歌おうとして。向うで言うとレッド・アーミー。それがいつのまにかレッド・クロスになった。赤十字。岡本公三のこと歌おうかなぁと。で、岡本コーゾー・シンパシーってサビで、それは絶対入れてる。

―思想なの?

S:思想だとは思わない。

―スラッヂに何を求めてますか?

S:やすらぎ。

―これからは、どういうステージでやりたいですか。

S:こないだ、法政でやったけど、大きいとこはダメみたい。せいぜい50〜60人のとこがいい。

―今のインディーズ・シーンについて。

S:最近だとさ、中心になるバンドがいて、似たようなのがくっついて。イメージだけでしょ。あの、レコード出すとかね、なんかそーゆーのに関わろうとするたんびに、だんだん離れていく気がする。レコード出さない頃のがまだ、憧れとかあった。フリクションとか。

O:結局ねぇ、フォーマットみたいなものがあるような気がする。インディーズは、このファクターそろってないとインディーズじゃないよっていう。それを踏まえてないと、それはカット。聴く方が。らしくないとか言って。で、雑誌がそれを補強しているというか。見た目におかしくないのを取りあげる。EDPSのインタビューでね、「今、ZEPPELINを聴き直してる」っていってた。そういうのいいと思うし、絶対そうだと思うわけですよ。個人の音楽史ってのがあるでしょ。そこを意識上はカットしてるでしょ。対外的に言ったりする場合は。前面に出てこないでしょ。流れの上から、これ入れちゃまずいって感じで。見栄とかあって。それが、強すぎるんだと思う。

―うん。だから、いい意味で、まぁ僕なんかひょんな事から片岡さんを知ってスラッヂにインタビューするようなことにもなったけれど、そうでなかったら見てなかったと思うし、名前すら知らずにいたかも知れない。

S:知ってるってのは、おかしい(笑)。あと俺らなんか職業もったりしてるけど、プロと違うとこはさ、メンバーみんな頭いいんだけど、ステージ立ってると、頭カラッポになっちゃうの。すっかり。スラッヂは音楽的じゃないのかも知れない。

―菅原さんのルーツは?

S:ジミヘンが好きでね。最近弾けなくなったけど、7年間弾いてきたんです(笑)。

O:ファズ使って、ちゃんとやってたからね。昔はすごかった。

S:あんまり昔すごかったって言うと…

O:良くない?(笑)

―次のレコードは?

S:金がない(笑)。未定。レコーディングしたい曲は、いくつかありますけどね。

O:僕なんか、量産の欲望もあるけど、自分たちのやったことを反復したいってのもあって、スラッヂは何回も聴いてます。

―最後、言い残しておきたいこと。片山さん。

O:この人は、ホントはハラにあるはずですからね(笑)。

K:えー。僕は新参者ですからね。一応、今のところは方針に従ってますけどね(一同笑)。スラッヂ割とレコードの出しかたにしても無反省なとこあるんですよ。はっきり言って。もっと練ってから出した方がいいんじゃないかと思うところもあるんです。バンドの活動にしても、いきあたりばったりのとこあるから、まぁ人の為にやってるんじゃないから、やりたい時にやるってのはいいと思うけど。もう少し熱心にやれたらと。

H:僕は、まぁ自分の役割を果たすという面に徹するでもないけど、今はそれで満足してるとこはある。方向性としては、要するに情報が多いのに過敏なのはいいけど、それに対する選択処理能力が、どうしても後追い的になってしまうってのがあるから。だから浮き足だっちゃうのが一番まずいと思うので、情報は正視しながらも横道に逸れずにやっていければと思ってます。それだけですね。

O:僕はね、これだけは言いたいけど、実はZ・Z・TOP好きでねぇ。

S:俺はね、スティービー・ワンダーに泣いたね。

―どうもありがとうございました!

日比谷、片岡、刈谷、菅原 片山、日比谷

「たまには立ちっぱなし。だけどそんなこと関係ないよ」(ラ・ヴィ)。言葉にならない言葉が、言霊となり空間に確かに刻印される。そして音はHEAVYにあくまで分厚く、聴く者と共振する。去年は11月新宿JAMで幕を閉じた彼らに今だ機材はないのだが。でもそんなこと関係ない。S氏対O氏のせめぎあい、そこに安定感を与えるH氏、ゲリラの目をしたK氏がどんなAfter the Sludgeを形成するか、85年の活動に期待したい。

(1984・12・20 新宿J&BL●取材:Fragile編集部)


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